トマトの歴史、生産量などについて

今やどの家庭にも1つはトマト製品があるでしょう。
冷蔵庫を開ければ、ケチャップや生のトマト、食品庫を開ければトマトの水煮缶があったり、パスタソースがあるかと思います。そんなトマトも一般化したのはごくごく最近の事です。
では、トマト自体はいつ頃からあったのでしょうか?トマトの歴史について説明していきます。
・トマトの歴史
原種はアンデス山脈のペルー、エクアドル、ボリビア地方に野生種が見られ、特に中腹には野生品や栽培種が広い面積にわたって多数現存するらしい。
この栽培種は紀元前に先住民の移住によって次第に中央アメリカやメキシコ方面に伝えられたものと考えられます。メキシコや中央アメリカなどで見られる原始的な種類は、比較的近代・1750年頃から出来た。
南米では先住民によって白人がやってくる以前から栽培され、食物として利用されていたらしいのですが、北米の先住民はトマトを利用していた証拠がないところを見ると、白人が居住する時代になって始めて種子が輸入され栽培されるようになったと思われます。


ヨーロッパに広まったのは16世紀の頃、メキシコに上陸したエルナン・コルテスという人物によるものでした。
当初、トマトは食べられないものだと信じられていたので、鑑賞用として利用されていました。
ヨーロッパで一番最初にトマトを食べたのはイタリア人で、1550年ごろから栽培を始めています。
それより25年ほど後に、イギリスやスペインへももたらされたが、珍しい植物というだけで、食用としての関心を示さなかった。
食用としてヨーロッパに広まったのは18世紀のことです。
原産地のペルーは乾燥地帯で雨量が少なく、トマトは雨が苦手です。日本は高温多湿なので、栽培は向いていないといわれていましたが、品種改良や栽培の工夫によって生産されるようになりました。
特にスペインやイタリアのような温暖な気候である地中海地方はトマトの栽培に向いていたようで、ヨーロッパじゅうに広まっていきました。
日本にトマトが伝わったのは、江戸時代のことといわれています。当時は鑑賞用の「唐柿」の記録があり、中国でも「西紅柿」と呼んでいたことから、ポルトガル人によって中国を渡り、長崎へ伝わったと考えられています。
トマトが日本で食べられるようになったのは、江戸時代の終わりになってからのことです。日本に住んでいる外国人の要求で、食用としてのトマトを栽培するようになりました。しかしこのときのトマトは、においも味も人気がありませんでした。明治時代になると、ようやくトマトを食べる人が増えてきました。このときは生で食べるのではなく、香辛料として洋食に使われていました。和食に使うには、日本人の味覚には合いませんでした。ここから日本では日本人の味覚にあうトマトの改良も始まっていき、現在のような味わいと歯触りになっていきました。

・生産量について
今日、最も生産量が多いのは中国です。その量は2005年のデータをみると、3,164万トンにもなり、ついで2位が米国で1,276万トン、3位は970万トンのトルコです。それに比べて日本は76万トンと中国の41分の1にも及びません。

メキシコ名物のタコスが沖縄で食べられる!?

レストランサボテンタコス沖縄:沖縄でメキシコ名物のタコス、タコライスが食べられる「サボテンタコス」について知りたい方へ